ボヘミアン・ラプソディ  第4話  荒淫王ヴァーツラフ

ボヘミアン・ラプソディ

第4話

荒淫王ヴァーツラフ

 西暦909年、後に初代ボヘミア王に即位し荒淫王という不名誉なあだ名で知られるようになるヴァーツラフが父からボヘミア公爵位を継承した時、彼はまだ12歳の少年であった。国政は執政体制で行われ、父ボジヴォイの3人目の妻であり、ヴァーツラフの義母であったウェセックス家の若きエドギフが摂政に就任する。そして新しいボヘミア公爵が生まれて間もなく、異教徒であるドリイェジュジャニィ女族長によるボヘミア公国への侵略攻撃が開始される。もちろん幼い公爵に指揮権はない。戦争は大人たちの手で進められていく。しかし、子どもには子どもの大人たちとはまた違う闘いがあった。

 少年時代のヴァーツラフを苦しめたのが、いじめっ子グニエヴォシュの存在であった。グニエヴォシュは廷臣であるサンドミェシュ家の子であったが、子ども同士の付き合いに主従の関係など無く、彼とヴァーツラフの間には対立が生まれ、そしてそれは幼い公爵の木でできた大事な友達を破壊されたことで決定的となった。友の仇を討つべく公爵は手袋をいじめっ子に叩きつける。決闘はすぐに行われることになった。木馬に跨り、枝の槍を持った二人の騎士が、プラハ城の中庭で他の少年たちが見守る中、にらみ合う。彼らは決闘は騎士らしく馬上槍試合、いわゆるジョストで行われることになった。周囲の子どもたちによる掛け声とともに二人の少年の木馬が互いにぶつかり合うように駆け始める。鈍く光る枝の槍は相手の胸へを狙いを定める。不敵に笑ういじめっ子と必死の形相で歯を食いしばるいじめられっ子。雌雄は一瞬で決まった。気がつけば胸を突かれたグニエヴォシュは痛みで地面に倒れ転げ、状況を把握できないままのヴァーツラフは立ち尽くしていた。すぐに周囲から上がった歓声によって公爵はその結果を知る。これが彼が生涯忘れることのない初めての試合とその勝利であった。

 西暦912年、ボヘミア公ヴァーツラフは16歳になったことで成人した。二年間に渡り続いたドリイェジュジャニィ女族長による侵略も摂政や廷臣たちの努力によって撃退することができた。短気で勇敢、執念深く、怒りっぽいという戦士としてはともかく為政者としてはやや問題のある人物となったボヘミア公の最初の仕事は結婚相手探しであった。彼とその周囲は過去の侵略の経験から同盟軍の数を重視し、アルザス戦闘団という傭兵団の団長の子であるウダルリヒング家のシビレという17歳の娘を選んだ。彼女は少し気前が良すぎるという点はあるものの公正で社交的であり、公爵夫人としては最適な人物であった。この1歳年上の女性がヴァーツラフにとって唯一にして無二の生涯の伴侶となり、後に二人の間には7人の子が誕生することになる。

 ここでヴァーツラフという人物にとっての謎が一つ提起される。この後、ヴァーツラフはボヘミア王となるが、すぐに「荒淫の」という異名を周囲から授けられ、後世に荒淫王ヴァーツラフと呼ばれることになるのだが、彼自身は妻のシビレ以外と関係を持ったという記録もなければ、私生児がいたという記録もない。他の女性とのラブロマンスにうつつを抜かすような男でもなかった。ではなぜ「荒淫の」という異名がついたのか。おそらくは彼の性格や人間関係が災いしたのではなかろうか。その直情的で激しい性格はキリスト教の慈愛の精神からは程遠く、ヴァーツラフは教会勢力に嫌悪されていた。事実、歴代のボヘミア大司教からの受けは良くなく、特に関係が悪かった大司教はあまりにも融通が利かないため激怒した彼の命令で暗殺されたとの噂もあったぐらいである。また弟であり、非情にして臆病、またその美貌でも知られるチャースラフ伯「美しき」ブディスラヴとの関係も最悪であり、同時にこの弟は教会勢力と強い繋がりがあったという。おそらくはこれらの修復できないまでに破壊された関係が、彼に「荒淫の」という根も葉もない悪名をつけさせたのではないかと推測されるところである。

 西暦915年、ボヘミア公ヴァーツラフはニトラ公爵に対しズノイモ伯領請求戦争を開始する。二年続いたこの戦争に圧勝したボヘミア公爵はさらにニトラ公爵へ圧力をかけ続け、西暦919年にはモラヴィア爵位をニトラ公爵から正式に簒奪。こうしてヴァーツラフはボヘミア王位を創設すべく基盤を整える。そしてさらに9年の歳月を費やし、王として壮麗な戴冠式へと望むべく準備と蓄財を行った。

 西暦928年、ヴァーツラフはプラハの丘の教会でローマ教皇より聖油を注がれ、王冠を戴いた。ボヘミア公爵を継承した少年が19年の月日の後に初代ボヘミア王になった瞬間であった。時にヴァーツラフ31歳。いじめっ子から勝利をもぎとった少年は大人の男、戦士、夫、父親、王へと成長していた。ボヘミア王国の王都となったプラハはその日、盛大な祝祭の熱気に沸いたという。

 「光が強ければ影もまた濃い」と偉大なる詩人は言ったという。ボヘミア王になったヴァーツラフという強い光を誰もが喜ぶわけではない。強い光の下で濃い影にならざるを得ない存在もいる。そして時に濃い影によって覆い尽くされる光もある。ある夜の晩餐で好物の鴨肉にかじりついたその男にとって、それは最後の食事となった。初代ボヘミア王ヴァーツラフ、またの名を荒淫王ヴァーツラフ、今はの際で彼の脳裏に浮かんだ人物は誰であったのだろうか。時に西暦929年、ヴァーツラフは33歳で毒殺された。ボヘミア王としては即位後、わずか1年半という短い治世であった。亡き王が最後に口にした鴨肉のローストから猛毒の薬物が発見されたが、それを盛るように指示した人物は最後までわからなかった。ただこの前年、長年に渡って互いの憎悪をぶつけてきた対象であった王弟のチャースラフ伯「美しき」ブディスラヴから兄王へ金貨の詰まった箱が送られてきた後に王が体調不良になったというのが記録されている。さらに王が亡くなったこの年には彼とフラデツ女伯との間での不貞行為が発覚し、妊娠中のフラデツ女伯は逮捕され、称号を剥奪されていた。王の暗殺はこの追い詰められた弟によるものとの噂は絶えなかったが、確たる証拠もまたなかった。

 後にこのブディスラヴも戦争によって負った重い傷が悪化し、その美しい顔と腕を失い34歳の若さでこの世を去っている。

 レスリングと妻シビレを愛した荒淫王ヴァーツラフ。その彼が愛妻とともにプラハの街で材料を求め、調合したという「ヴァーツラフの香水」。戴冠式で財を使い果たした王ができる限り節約したいという思いでその材料を求めたという伝説が小さな香水瓶とともにプシェミスル家には残っているという。

 

 この記事はParadox Development StudioのCrusader Kings IIIをプレイした記録を基に筆者の妄想を加えて捏ね繰り回した物語です。攻略などのお役には立ちません。また、プレイに際してはJapanese Language Modを使用させていただいております。ゲームの開発会社様及び日本語化に尽力された翻訳有志の皆様に感謝と敬意を表します。