ボヘミアン・ラプソディ  第6話  臆病王マーティン後編

ボヘミアン・ラプソディ

第6話

臆病王マーティン後編

 西暦948年2月、臆病王マーティンの母である王太后シビレが酒に溺れた結果、この世を去った。この頃から目を悪くして眼鏡を手放せなくなったボヘミア王であるが、同時に徐々に精神をも病み始める。その始まりとなったのが彼の少年時代に摂政を努め、晩年はオポラニア公の妻となって同盟の架け橋となった母の死であった。その後も兄弟、友人、妻を失い、孤独を深めていった晩年には静かな狂気へと沈んでいく。そんな男の後半生をここから語っていきたい。

 

 西暦949年1月、臆病王は従兄弟であるチャースラフ伯と7年前にボヘミア王暗殺未遂事件を引き起こして光を奪われたリトムニェジツェ伯から称号を剥奪し、接収した彼らの領土を王の直轄地とした。チャースラフ伯はもちろん、過去に罪に問われたリトムニェジツェ伯にも咎はなく王の暴政として宮廷を騒がせた。王もそれは承知していたが、王国にとってこれは必要な処置であると自分に言い聞かせていた。というのも先の戦乱で戦費に困窮した経験から、まずは直轄地を増やし税収を上げることこそが国庫を潤すための第一歩であると考えたからである。こうして国土の発展に尽くした臆病王の残り36年の治世が始まる。

 

 西暦950年以降に行われた臆病王が仕掛け、領土を獲得した戦争は、950年に始まり952年に勝利した「オロモウツ族長領に対する聖戦」のみである。だが、同盟軍の参戦要請や封臣の反乱などにより、ほぼ常に戦時と言っていい状態であったため、父王から領土を継承した兄弟の戦死も少なくなく、それによる領土の継承もあり、ボヘミア王国の国庫も少しずつではあるが豊かになっていった。そして王はその富を使って国土の発展へと繋げていったのである。

 

 臆病王が手掛けた事業にはプラハの丘陵農場の開発、リトムニェジツェのマナーハウスの拡大などがあるが、中でも大きなものはクトナー・ホラ鉱山の開発である。チャースラフにあるこの銀山の開発は、ボヘミア王国の国家予算十年分以上の費用が注がれ、4年以上の年月を要した大規模事業であった。しかし、臆病王が切望していた国庫を潤す源泉の掘り起こし事業の勅令を王が下したのは、彼が亡くなる5ヶ月前であり、彼自身はその完成を見ることはなかった。その前年に翌年には亡くなることをすでに王は予感していたとも言うが、それが長く知識を蓄えた賢者たる王の直感によるものだったのか、それとも長く玉座に座り続けて狂気に陥った老人の妄想によるものだったのかは、わからないままである。

 

 他にも臆病王の長い治世には語り尽くせない物語がたくさんある。東ローマ帝国から来たという旅の職人に作らせた「壮大でしなやかなスケイルアーマー」、妻ゴランドウフトや友人たちから誕生日に送られた「見事な戦斧」といったプシェミスル家に長く伝わることになる見事な武具は、彼の時代のものである。また、饗宴の主催、狩猟への参加、近隣の王侯貴族とのチェス勝負、ライバルであった老婆との喧嘩など、彼は臆病者ではあったが、間違いなく退屈な男ではなかった。戦乱に掻き乱されて危機に陥ったボヘミア王国を導き、その後の発展の基礎を築いた偉大なる臆病王マーティンは西暦985年9月、心不全にてこの世を去った。享年71歳。ボヘミア王玉座に初めて座った時から56年の歳月が流れていた。

 

 この記事はParadox Development StudioのCrusader Kings IIIをプレイした記録を基に筆者の妄想を加えて捏ね繰り回した物語です。攻略などのお役には立ちません。また、プレイに際してはJapanese Language Modを使用させていただいております。ゲームの開発会社様及び日本語化に尽力された翻訳有志の皆様に感謝と敬意を表します。